「”俺”が、”こいつ”に、人生を与えてやったんだ!」と、一人でも、かけらでも、思わせてしまうと、往々にしてよくない結果を招くことになる気がします。
日本の意思決定システムには「絶対的な原理原則」というものの入る余地がない。言い方を変えると「外部」の入る余地がない。犯罪者や外国や物理法則は、空気の読めない「外部」であり、「外部」は空気の読める内部の代弁者を通してしか、意思決定に関与できない。そしてのその代弁者も原理原則に固執しすぎると意思決定の場から排除される。
そのように、すりあわせの連鎖の中で行なわれた意思決定には責任者がいないので、問題が起きた時の対策も取れないし、再発を防ぐこともできない。
風紀委員というのはたぶん、「これがやりたい」という強い希望があるわけでもなく、何かを決定するリスクを取れるだけの気合があるわけでもなく、「役割と報酬をなるべくすくないリソースで手に入れたい」人たちにとっての正解なのだと思う。
(中略)
お手つき即死のネットの空気は、結局のところ「ネットがそれだけ大きくなった」ということなのだろうし、こうした流れは必然であって、もとに戻すのは難しいのだろうと思う。
しかし、MALLは「失敗を敢えてめざすこと」はないにせよ(失敗はしたくないですよ)、でも、「失敗してしまうこと」を恐れません。
一般的な視点から見れば、MALLの試みは、危なっかしく、リスクにあふれることに見えるのかもしれません。しかし、「失敗できること」こそが、私たちの財産である、と感じています。
ところで、一昨日の続きですが、スペインから学ぶべきことは多い。例えばスペインは全量買い取り制度(FIT)による太陽光発電の拡大したけど、結局、財政負担急増による取止めで失速。日本も全量買い取り制度が始まりますが、同じ展開になりそう。所詮、補助金に頼った事業は長続きしないし、エコポイント制度に代表されるように補助金が終わったときの反動が大きいですから(世界的にみて、FITを導入して、うまくいった国はそもそもあったのかという感じ。もちろん大失敗した国はいっぱい)。
先日のスペインの地方分権にしても、重複が多くなって無駄が増える、つまり財政負担は増える。それに法人税などにより、自治体間の財源の格差は広がりますし、それを調整する制度を作ったり、既存の地方交付金と変わらない。それとスペインでは地方分権に踏み出す以前から、自治体間で債務状況は違ったそうで、返済どころか、利子負担で財政破綻するリスクもあります。
そして何よりもスペインの地方分権で学ぶことは、一度、地方分権に舵を切ったら、どんな問題が起きても、元に戻すことは非常に難しいということ。実際、スペイン政府は1970年代後半の地方自治制度によって、地方に移譲した権限を中央政府に戻すことを提案していますが、中央政府のお膝元であるマドリッド州知事まで反対しているそうです。中央政府の権限が、役所だけでなく、多方面で既得権益化しているのと同じで、その権限を地方に委譲すれば、地方自治体と地元の一部で既得権益化がおきてくるわけで、元に戻すことは不可能に近いはず。仮に地方分権を進めるにしても、スペインの事例を学んで、失敗しても後戻りはできないことを肝に銘じてほしいところ。
が、Gitは賢い自動化のために、パッチを直接の操作対象として扱わせない。そのため、名詞のcommit、履歴(≒名詞のcommit間の家系)、branchなどの概念を同時に理解する必要が生じる。
自動化は大なり小なりピタゴラ装置だが、tarballとパッチを自動化するだけで、これほどのピタゴラ装置が生み出される。ソフトウェアの設計について考えるうえで、Gitのケーススタディには大きな意義があるだろう。
