42

食事に特化した形式のデイサービス事業所も登場した。
企業の健康管理のコンサルティングを手がける「ヘルシーピット」(東京)は東京都世田谷区に続き、昨春、兵庫県西宮市に「マリーン・レストランデイ西宮」を開設した。
ヨットハーバーのクラブハウスを改装した日当たりのいい店内で、フルコースを1時間半かけて楽しむ。

こだわりは、食前に出す50ccのニンジンジュース。
甘酸っぱさが、唾液(だえき)が出るのを促してのみ込みやすくする。
認知症の人には、「食事が出てくる」と意識させるサインになるという。

高齢者施設の食事についてはこれまで、集団給食的な対応が主流だった。
利用者に対するアンケートでは「もっとおいしく」「外食の楽しみを」と改善を求める声が根強かった。
介護保険制度が導入され、個別ケアという考え方が浸透する中で、食事の楽しさを重視する流れがある。

医療関係者、栄養士ら市民が「食による人にやさしい・健康な町づくり」に取り組む茨城県笠間市。
市内のフランス料理店が7年前から、高齢者にも食べやすい「楽食(らくしょく)」のメニューを提供している。
特産の陶器・笠間焼でも、ユニバーサルデザインを取り入れた食器の開発が進み、地域を巻き込んで運動が広がっている。

中心メンバーの歯科医、塙(はなわ)章一さんは「食べる楽しみを求めて、高齢者が外に出かける意欲を持てば、体を動かし、筋力面などの健康維持にもつながる。食べづらい、食器が使いにくい、街に段差が多いなど、高齢者が外食する際の障害を取り除く環境整備が重要になる」と訴える。

自嘲の昇華は高度な素養を要しますが、単純な罵倒は手順が用意されている。そして手順の再現で出来る単純な罵倒は「何も持たない人」にも手軽に行える。後は不毛の荒野です。
人は寂しくなると他人を信用にくくなり、そのせいで友情を形成するのがさらに難しくなる悪循環に陥る
学問には即効性がもとめられ、広告には宗教と賭博(パチンコ)が残り、作品の評価は売上のみではかられる。いろいろなものがむき出しになった感じだ。
「いかに笑わせるか」よりも、「どうしたらこの人は、自分と一緒 にいて心地よいと思ってくれるか」に集中したほうが、相手の心を揺さぶる一言が見つかりやすい

マザー・テレサにあるインタビュアーがこう問うた。

「本当にあなたのやっている方法で人々を救えるんでしょうか?」

すると彼女は間髪を容れず返した。

「昨日は過ぎ去った。明日はまだ来ていない。そして私はここにいて、あなたといましゃべっている」

ある種の人はこれを禅問答のように、あるいははぐらかしとして見てとるだろう。

インタビュアーの問いには、どこにもいない仮想された他人の経験との比較を通じた正しさが、いまここにいる私を離れ、客観的なものとして存在するという考えに基づいている様が見て取れる。

インタビュアーは想定の話をしている。マザーテレサはリアルタイムの話をしている。

いったいどちらが現実を生きているだろうか?

「東洋人と西洋人では、表情を読む際相手の顔のどこを見るかが異なるということが明らかになりました」とグラスゴー大学心理学科の院生Rachel E. Jackさん。「西洋人は目と口を同程度に見るのに対し、東洋人は目をより重視し、口は無視しがちです。これにより、異なる表情であっても目の辺りが同じように見えれば、東洋人にとっては見分けるのが難しくなります」

アジア人が人の表情を読むのが苦手な理由が明らかに - GIGAZINE

“日本とアメリカの顔文字の違いの一つは、

1. 日本の顔文字は主に目の形をもって感情を表現するのに対して、
2. アメリカの顔文字は主に口の形をもって感情表現をする

ことである。北海道大学の社会心理学者、結城雅樹らは、この違いが日本人とアメリカ人の実際の表情表出ルールの違い、およびそれと対応した表情知覚のルールの違いと対応している可能性を指摘している。日米で行った実験では、他者の感情を表情から判断するとき、日本人は他者の目の形を、アメリカ人は口の形を主な手がかりとすることを実証している[9]。”
http://iterwtt.tumblr.com/post/240306025/1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A1%94%E6%96%87%E5%AD%97

(via iterwtt) (via iterwtt) (via starcat) (via nakano) (via hustler4life) (via yaruo) (via sytoh) (via kojiroby)

(via kyohei1989)
私に悪意を抱いている人間が、私のことで大なり小なり時間を使ってしまったとしたら、そいつの負けだ。
Twitter / テストユーザー (via rpm99) (via takaoka) (via fukumatsu) (via 4hey4hey) (via nemoi) (via kondot) (via mochilon) (via gkojax) (via goodmorning) (via kyohei1989)
孤独感は、世界が敵対的だという感覚から始まり、それがやがて自己成就する、という道を辿り得る。

»51の続き

高田教授は楼蘭地域での3発のメガトン級核爆発の影響を計算した。その値は1千キロ離れたカザフスタンの
報告値と良く一致した。それは胎児が奇形となるレベルのリスクであった。

その核放射線影響を現地の人口密度に当てはめて推定すると、核の砂による急性死亡は19万人となった。
2メガトン地表核爆発では、風下およそ245キロメートル、すなわち横浜−名古屋間に及ぶ範囲で、
急性死亡のリスクがあった。この地域では核の砂が降って、住民が全員死亡した村がいくつもあったということになる。

また、死亡には至らないが、白血病などを誘発する急性放射線障害のリスクのある地域は、
風下およそ440キロメートルに及ぶ。東京−大阪間に相当する距離である。
この地域で白血病などを誘発する急性症を起こした人々は129万人と推定された。

前述のアニワル・トフティー医師が、現地で命がけの調査を行った結果では、漢民族でも30年以上
ウイグル地域に住んでいる人は、発ガン比率が中国全土と比べて35パーセント高い。

こういう危険な被爆地を、NHKは歴史ロマン番組として紹介し、その結果、多くの日本人が観光客として訪問した。

楼蘭遺跡付近の核爆発は東京オリンピック開催中の1964(昭和39)年に始まり、1996(平成8)年まで続けられた。
NHKのシルクロード番組が放映されたのは1980(昭和55)年からであるが、それ以降も核爆発は続いていたのである。

ウイグル地域への日本人観光客の人数は1995年に35,071人、1996年に36,278人というデータがある。
これから、高田教授は核爆発が続いていた1996年までの総数を27万人程度と推定している。
これに加えて、核爆発が終了した1997年から2008年までの日本人観光客数は57万人と見積もられている。
このペースだと今後、数年のうちに合計100万人に到達するだろう。

以前、学生の一人が交通事故で亡くなった葬儀で埼玉県のベッドタウンに行ったときに、後から吐いてしまうほど衝撃を受けていたが、同時に団地の集会所で行われた葬式の様子やそのときに集まったその学生の友人たちを見て、「こんなところで生活していたのでは、文化なんて接することができるわけがない」というよく分からない怒りと焦りを覚えたらしく、「大学で一から教養を叩き込まないといけない」とその後、妙に教師としての使命感に燃えるようになっていったのも印象深い。

■逆選択とモラルハザード

貧困層向けの融資が困難を伴うのは、そもそも貧困層は稼得能力が低いためにお金を借りても返せない可能性が高いことに加え、貧困層は担保となるものを持っておらず無担保で融資せざるを得ないため、「逆選択」と「モラルハザード」の問題が生じてしまうからである。担保がある場合は、返済できないと担保を没収されてしまうので借り手側も一生懸命返済したり安全な投資を行おうとするが、担保がない場合は債務不履行の際に借り手に対して有効な罰則を与えることが難しく、収益を上げる努力を怠ったり(モラルハザード)、リスクの高い(リスキーな)事業を行う人ばかりが集まってしまって(逆選択)、高い返済率を維持することが困難になってしまう。「逆選択」とは、無担保であることによって返済率の低い「タイプ」の人ほど参加してしまうことを指し、「モラルハザード」は、無担保であることによって返済率を引き下げる「行動」が選択されてしまうことを指している。「逆選択」が参加者の「タイプ」(あるいは参加者の構成)に焦点を当てているのに対し、「モラルハザード」は参加者の「行動」に焦点を当てているという違いがある。

「逆選択」や「モラルハザード」の悪影響を緩和するには、債務不履行の際の罰則を重くしたり、債務を返済した際のベネフィットをあげてあげればいいわけであるが、マイクロクレジットにおいては、クレジットグループを形成させて誰か1人でも返済できなければ他のすべてのメンバーもその後一切マイクロクレジットを利用できないようにする「グループ貸付制度(連帯責任制度)」を採用することで、債務不履行の際に他のメンバーから社会的制裁が課されるようにして債務不履行の罰則を重くしたり、返済すればより多額の融資にアクセスできるようにする「動学的インセンティブ」を採用して債務を返済した際のベネフィットを高める工夫がされてきた。

「私が若い頃の日本の印象は、会社経営者は誰かを首切りすると、それを会社の恥だと思うような社会でした。でも、保守主義の(最近の日本の)首相たちが、それを壊し始めてしまった」と監督。そして、「たとえば、社会保障の支出を下げる、教育の質を下げる、そして人を解雇し、収入の低い層の生活を苦しくさせ、貧困をあたかも犯罪のように考え罰していくような政策を打ち出してきた」と自らの考えを述べた後で、「アメリカのようになりたいなどという気持ちは捨てて、日本のままでいてください。1945年以来、皆さんが作り上げてきた、教育が大切だと考え、解雇はしないと言っていた日本で居続けてください。そして、他国を一切侵略せず、侵略しようとしている国をサポートしないと言っていた国に戻ってください」と熱く訴えた。
組織や義理でしばって活動させるのではなく、熱心な支持者を「個」としてたんねんに集め、彼らが自発的に核となって輪を広げるようにした。

契約執行・保険・社会保障・家事に関する専門化・子育てという伝統的な結婚・家族の役割が失われる中、結婚の意味はどうかわったのだろう。次の一節がこの問いへの回答だ:

So what drives modern marriage? We believe that the answer lies in a shift from the family as a forum for shared production, to shared consumption.

家族の中心的機能は共同生産から共同消費に移ったという。

Most things in life are simply better shared with another person: this ranges from the simple pleasures such as enjoying a movie or a hobby together, to shared social ties such as attending the same church, and finally, to the joint project of bringing up children.

共同消費というのは、一緒に映画を見たり、趣味に興じたり、教会にいったり、子供を育てたりすることを指す。

Returning to the language of economics, the key today is consumption complementarities — activities that are not only enjoyable, but are more enjoyable when shared with a spouse.

経済学の用語を使えば、現代の結婚においては補完的な消費活動が重要な意味を占めるということだ。

Today, it is more important that we share similar values, enjoy similar activities, and find each other intellectually stimulating. Hedonic marriage leads people to be more likely to marry someone of their similar age, educational background, and even occupation.

共同消費が重要になると当然、結婚において価値観が近く、趣味が合い、面白い相手を選ぶ傾向が生まれる。これは年齢・学歴・職業などが近いカップルが増えることを意味する。

Yet the high divorce rates among those marrying in the 1970s reflected a transition, as many married the right partner for the old specialization model of marriage, only to find that pairing hopelessly inadequate in the modern hedonic marriage.

これは離婚率の推移も説明する。離婚率は一時急激に上昇したがこの三十年ほどは下がる傾向にある。これは、結婚の機能が変わったことによる影響と捉えられる。